◆毎日のようにリコーダーを吹いていた
篠原さんとリコーダーとの出会いは、小学校の音楽の時間。担任がリコーダーに力を入れていたということもあり、毎日のように放課後に教室に残っては、リコーダーを吹くようになった。 リコーダーに魅せられた篠原さんに、担任は近くに住むリコーダー奏者を紹介したくれた。そのとき、「大好きなリコーダーを吹いて、暮らしていくことができるんだ」 と、プロの演奏家になることをはじめて夢見たのだという。 中学生になると、別のリコーダー奏者に本格的に師事する。「ピアノなどもを習っていたのですが、リコーダーで吹ける曲もピアノだとうまくいかないので、楽しくなかった。そこで母親に頼んで、リコーダーの先生を探してもらったんです。」 |
|
◆親の反対を受け、東大を受験
プロの演奏家を目指し、音大に進学しようと考えていた篠原さんは、親の猛反対を受ける。音大に行ったら潰しが利かなくなるというのがその理由で、確かに篠原さん自身その心配がないわけではなかった。 結局、「音大に入っても結局は個人レッスンが中心なのだから大学は関係ない」 と考えて、音大進学を諦めた。「もともと、数学や物理の世界には、音楽と共通するものを感じていて興味があった」こともあり、東京大学を受験することになった。 ◆何もやっていなかった空虚の時期 大学時代を振り返ると、「空虚」の一言に尽きる。 それなりの自由が手に入って、目標を見失ってしまった。学校にもほとんど通っていなかったし、かといって何かをやっていたわけでもなかった。 「リセット」を終えた篠原さんは「このままではいけない、自分は演奏家になるんだ」と自分に言い聞かせた。確かに演奏家を職業とするには不安があった。でも、自分は組織の中では生きていけないと思ったし、勉強も嫌いだった。とにかく、やりたいことをやれるところまでやろうと考えた。 |
|
◆人に求められなくてもいい。やりたいことをやりたかった。 現在は、年に30回ほどのコンサートの他、リコーダーの講師などをしている篠原さん。年に1度は自分で企画したコンサートを開催することにしているという。「自分がやりたい音楽は何なのか。惰性とならないために、自分が好きな曲を好きなように演奏する機会が必要なんです。」 当初は、東大卒 であるということで注目されることをうまく受け止められなかったという。ただ、「私の音楽を聴いてくれることにつながるなら、きっかけは関係なく嬉しい」と開き直ることにした。卒業から10年近くたった今では、周囲も自身も東大を意識することはなくなったそうだ。 「私は、自分がやりたいことをやりたいという気持ちが強かった。別の仕事についていたら、きっと続かなかったと思います。自分の人生なのですから自分を解放してください。仮に自分がやりたいと思うことが人に求められていなかったとしても、それはそれでいいじゃないですか」。 |
|
|
リコーダー奏者 篠原理華 fan web site |