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小学四年生のとき、父母会があるので、僕たちが一年生の教室を掃除することになった。僕は、一年生の見ている前で、教壇の周りを張り切ってきれいにした。時間の勉強をする大きな時計も念入りにふいた。そして、ピカピカに磨いた教壇に満足して帰宅した。
 翌朝、担任の先生がひどく怒った顔で、「昨日、この中のだれかがいたずらをしました。時間の勉強をする時計の針が曲がっていました。誰かわかっています。さあ、正直に手を挙げなさい。だれも手を挙げないのなら、いたづらを見た一年生に見つけてもらいます」と言い。しばらくして二人の一年生が、一人ひとりの顔を見ながらこちらに向かってきた。まさか・・・・、僕じゃない、僕じゃない・・・と、心の中の叫び声がだんだん大きくなり頂点に達してとき「この人です!」と、その中の一人が僕を指差した。その瞬間、時間が止り、すべての音が消え、すべてが真っ白になった。
教室中の視線を全身に浴び、恥ずかしさ心細さと悲しさに震えながら、とにかく「僕してないよ!」と何度も何度も心の中でくり返すばかり。次の瞬間、先生が怒鳴り、すべては終わった。  
数日後、一年生のいたずらだったことがわかり、僕がやったのではないことが明らかになったのだが、それ以後、ぼくは吃りになった。吃りをばかにされ、トイレの屋根の上で取っ組み合いのけんかをした。割れた瓦の角にひざぶつけ、ひどく出血したので保健室にかけ込んだら、そのまま病院へ連れて行かれ、痲酔もせずに、まるで雑巾でも縫うようにみごとに治療された。我が家では、犬、猫、ヤギを飼っていて生き物に興味があったうえ、野口英世の絵本を幼稚園の頃からボロボロにになるまで愛読していたので、このときは医者になろうと思った。

小・中学生のころは学校が終わるとすぐ、「すみか」と称する隠れ家に遊びに行くのが僕たちの日課だった。「すみか」は木の上や竹やぶの中に作られることが多かった。もちろんお互いのテリトリーが暗黙のうちにあるのだが、新しく「すみか」を作ったり、改築したりするときなどは、これも暗黙のうちにお互いが協力することになっていた。「すみか」は、台風がくるとよく壊れたものだ。  
台風というと、必ずといっていいほど停電した。この停電を期待して、台風がくることが天気予報でわかると、妙に気持ちがソワソワしてくるのだ。うれしいのだ。さっそく、懐中電灯とろうそく、マッチ、そして、少量のお菓子を用意し、勉強机の下にも潜りこむことになる。また、夜、風呂上がりに物干し台に上がり、裸で台風の雨に打たれながら、庭に向かって小便をしたことがある。高い所ですることは何でも気持ちのいいものだ。今でも飛行機に乗ると必ずトイレにいくのは、この時の思い出がそうさせるのかも知れない。

僕の少年の日々をこう綴ってみると、小学校の言葉の障害が、音楽への興味につながったのかどうかわからないが、中学校に入ってからフルートを始めたきっかけとなったようだ。母が好きだった『精霊の踊り』を吹きたかったのかも知れないし、今となってはわからない。それが、リコーダー、そして、さまざまな笛の音へとつながっていった。亡き母はとても質素で、きびしく、そして、やさしかった。亡くなってから十数年になるが年を重ねるごとに何故か母を思い出すことが多くなってきた。不思議に思う。  

音は人になり、人は音になる。人の命のように、音は消えるからこそその実在を強く感じる。生ある限り明日の僕の音は、きっと今日の僕の音とまたひと味違っていると思う。また、そうありたい。

月刊「ふぁみりす」'96/10 「あの人の子ども時代」より

我が家で
左から忍(長男)、父(栄一)、実(三男)、母(喜代子)、宏 (次男)。母の手編みのお揃いのセーターで。母はほとんど着物姿でした。(1957年)


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